東京ぶらぶら木場
東京をぶらぶらした記録です.
目次
歴史
石でできてているヨーロッパの都市を見ると,その重さ故か,「すげーなー」と感じ入ってしまう.それに対して,我が江戸は木と紙でできており,台風でも来ればどっかに飛んでいってしまいそうです.そんな江戸の災いは,台風ではなく,火事でした.ひとたび火事が発生すると,関東の空っ風にあおられ,あっという間に燃え広がります.自然と,材木屋は大変儲かる商売になります.今風にいうと,「いけてるビジネス」でしょうか.
江戸時代の初期,材木置き場は日本橋材木町(後の本材木町)にありました.しかし,明暦の大火を機に移転を命じられます.江戸の市中に材木が密集していると,火災を拡大させる恐れがあったためです.隅田川河口に位置し水運に恵まれていて,貯木場に適した木場に材木商が集まりました.以後、江戸で使われる材木のほぼすべてを木場の材木問屋組合が管理したため、巨万の富を得る商人が現れます.紀伊国屋文左衛門、奈良屋茂左衛門などが代表格です.こうした豪商が、深川の料亭で接待を行ったため,花柳界は隆盛します.このあたりの話は,司馬遼太郎の「街道をゆく —本所深川散歩・神田界隈—」に詳しくかかれています.
材木置き場としての木場の役割は,昭和の中頃まで続きます.昭和30年代の高度経済成長期なると,周辺の地盤沈下や公害問題,交通事情の悪化,また建設ラッシュが進み,移転することになります.材木置き場は,東京湾に埋め立てられた新木場へ移転します.移転は、昭和49年 (1974年) から始まり、昭和57年 (1982年) に完了します.現在,残った貯木場の跡地は木場公園に姿を変え,都民の憩いの場となっています.
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